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ツギクル「美」のかたちは…“見た目のメイク”から“心のすっぴん”へ

  • 用丸 雅也

    コミュニケーション・プランナー / クリエーティブ・ストラテジスト

βutterflyの活動の一環として、毎月の定例会で学生と行なっているツギクルの議論。
この連載企画では、そのディスカッションをサマライズして紹介していきます。
第4回の記事は、ツギクル「美」のかたちです。

まず、大学生が集めてきたレポートをピックアップします。

こちらのレポートからは、小柄の女性向けのアパレルブランドを例に、「私だから似合う服」をツギクル「美」のかたちとして挙げてくれています。ZOZOが展開するZOZOSUITも近い事例でしょう。

こちらのレポートでは、近藤サトさんのグレイへアを例に、他人の目線を前提とした「男ウケ」「女ウケ」から、「自分ウケ」へ。美の価値観がアウターからインナーに移っているのではないか、という意識の変化を考察してくれています。

こちらのレポートでは、「正解」や「普通」がない時代、「好き」なものを「好き」と言えることが美しいと紹介してくれています。いわば、「いいね!」を求めない姿勢にこそ「いいね!」が集まると言えます。
以上を踏まえて、ワカモンとして以下考察します。

“美しさ”とはこれまで、他人の目線を前提とした、誰かのための美しさ(容姿の美醜)を指す概念でした。

一方で、NIKEが導入したプラスサイズのマネキンが象徴するように、肥満体型な人もファッションを楽しんだり、シャネルをはじめとした男性向けメイクアップラインが誕生している昨今。
美の価値観は、容姿といったアウターから、内面・インナーに向かっていると考えられます。

美は優劣で語られるものではなく、美という概念にもダイバーシティが尊重される世の中へ。
音楽やファッションも、サブスクリプションモデルやメルカリといったCtoCサービスの台頭で「新しいから良い」ではなく、「自分が好きなものが良い」に判断基準にが変わりつつあります。

パーソナルカラーやファッショントレンドをはじめとする周りが設定した美の基準に則るのではなく、素の自分、ある種コンプレックスまでをも受け入れ、「心がすっぴん」状態でいられることが、”美しい”とされるようになるのではないでしょうか。