電通若者研究部がプロデュースする学生団体の複合プロジェクトβutterflyでは、毎月の定例会で学生と一緒に未来の価値観を予測するワークショップ「ツギクル」を行っています。
この連載企画では、そこで行われた議論をサマライズして紹介していきます。
今回のテーマは、ツギクル「食の形」のかたちです。
AIや自分の遺伝子情報によって食のパーソナライズ化が進んでいます。
その一方で、自らが手を加える外食形態や自分と作り手とのつながりが分かる
食形態も事象として見られてきており、「自分の選択意志が介在すること」も、
食を選ぶ時の重要なポイントとして挙げられてきていることが見えます。

あらゆるレコメンドに慣れているZ世代にとっては、
最終的に自己決定する上で「自分はなぜこの食を選んだのか」といった、
自らの食に対する意志表明の際に理由付けができる食形態が重要視されてきています。
そのため、食事に対して自分が介入することや作り手を見て食の背景が分かることによって、
自分が選ぶ際の納得感を欲しがっていると考えられます。
今後は、食を選択するときに大切にするポイントがより明確化され、
ポイントに共感できる人が集合した
「食を中心としたコミュニティ形成」も
進んでいくのではないかと推察します。
電通若者研究部がプロデュースする学生団体の複合プロジェクトβutterflyでは、毎月の定例会で学生と一緒に未来の価値観を予測するワークショップ「ツギクル」を行っています。
この連載企画では、そこで行われた議論をサマライズして紹介していきます。
今回のテーマは、ツギクル「息抜き」のかたちです。

スマホネイティブな若者にとって、SNSを通じいつでもオンライン上でつながることは当たり前。
コロナ禍によるリモート化が加速したことで、これまで以上にその「オンライン化」が進行し、
結果的に、様々なライフイベントに「受動的に巻き込まれる」経験は減少していると言えます。
これまでのように、オフライン下で、ある種他人主導な体験も数多く経験する中では、そこから
外れた「ひとりになって自分のために使う時間」が“息抜き”としての役割を果たしていました。
時間をうまく切り分け使い分けることで、他人主導と自分主導のバランスを取っていたと言えます。

一方で、今や何をするにも自分主導で選択し行動することが常に求められる時代。その中で若者が
“息抜き”に求めることは、「みんなと一緒に過ごすことで脱・自分主導になれる時間」と考えます。
電通若者研究部がプロデュースする学生団体の複合プロジェクト
βutterflyでは、毎月の定例会で学生と一緒に未来の価値観を予測するワークショップ「ツギクル」を行っています。 この連載企画では、そこで行われた議論をサマライズして紹介していきます。
今年最初のテーマは、ツギクル「友達」のかたちです。
コロナ禍を背景とする生活環境の変化や個人の選択の幅が増えたことは、友達という定義を今まで以上に多様且つ主観に基づくものにしてきました。
その一つにリアルで人と会う頻度が減ったことによる、つながり方の変化があげられます。普段集まる人と集まれなくなったことで、会う事やその回数に意味を求めるよりも、目的に沿って柔軟に相手を選ぶようになりました。

他方、オンラインと媒体してつながる機会が増えたことは、友達という範囲にも変化をもたらしました。人種、年齢、性別の差に意味を持たず、より個人の目的に合った友達作りやコミュニティ形成が容易になったことは、その選択肢をより広げる結果になったからです。

今後「友達」の定義は、関係性やつながりを基に「いつでも会えるメンバー」から「個別に合わせて都度集まる存在」に変わっていくのではないか、とワカモンは考えます。
またこういった変化は、個人をより尊重し重視するという、社会全体の変遷の表れなのかもしれません。
電通若者研究部がプロデュースする学生団体の複合プロジェクト
βutterflyでは、毎月の定例会で学生と一緒に未来の価値観を予測するワークショップ「ツギクル」を行っています。
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今回のテーマは、ツギクル「プレゼント」のかたちです。
これまでのプレゼントというと意外性があり、そのうえで相手が喜ぶものがよしとされてきました。
しかし、Z世代は驚きからくる一時のうれしさ以上に、もらったものが本当に自分(相手)の生活になじむものか否かをプレゼントの良し悪しを測る際の尺度にします。

なので、今後は相手が望むものがそのままプレゼントとして選ばれるようになり、(もらう側には)喜ばれるようになるとワカモンは考えます。
また、渡し方については、あまり意外性のないものを渡すからこそ、たとえば「友人が力を合わせて作った世界にひとつだけの〇〇」や「プレゼントを準備する様子をまとめた動画」などといった、渡すまでのプロセスで他との差別化を図るようになると考えます。
電通若者研究部がプロデュースする学生団体の複合プロジェクト
βutterflyでは、毎月の定例会で学生と一緒に未来の価値観を予測するワークショップ「ツギクル」を行っています。
この連載企画では、そこで行われた議論をサマライズして紹介していきます。
今回のテーマは、ツギクル「ニュース」のかたちです。
ネット社会になり、ニュースは “全員の共通の関心ごと“という概念が崩壊し、それぞれに何をニュースと思うかすら自由な状態になりました。
どのメディア(組織)が言うかよりもどの人(個人)が言うかを重視するようになってきています。

これからのニュースは、民主化が図られていくだろう、とワカモンは考えます。
つまり「自分から自発的にニュースと関わっていく」ということです。
具体的には、ネットにある嘘の情報を信じ込まずフェイクニュースへのリテラシーを持ち自分自身が主体的にニュースと向き合うこと、そしてレコメンドに身を委ねず自分自身でニュースと能動的に出会うことが挙げられます。

これからのニュースは、自分が必要だと思った情報と主体的に向き合い、これはニュースであると認識したものが当人にとってのニュースだと定義されていくでしょう。
電通若者研究部がプロデュースする学生団体の複合プロジェクト
βutterflyでは、毎月の定例会で学生と一緒に未来の価値観を予測するワークショップ「ツギクル」を行なっています。
この連載企画では、そこで行われた議論をサマライズして紹介していきます。
今回のテーマは、ツギクル「地元」のかたちです。
まず、目に見える変化として、コロナ禍でのリモートワーク・リモート授業を背景に、地元の魅力を再発見しようとする動きが加速しています。遠出するより近くで楽しむ工夫が増える事で、知らなかった魅力を探索し始める傾向がみられます。

ここで、気になるのが、「地元」という言葉と、「近所」という言葉が似たような意味でつかわれている点です。つまり、「地元」という言葉の定義づけにも変化がみられているのではないかと、ワカモンは考えます。
いままでは、「地元=故郷=出生地」という印象が強かった一方で、これからは、地元の意味合いが拡張され、「自身の思い入れがある土地 」というような意味合いを持つようになっているのではないでしょうか。

つまり、地元という言葉は、家族でも職場でもない、新しいコミュニティーと捉える事ができると考えます。
そのため、これからは、まるでハッシュタグのように、複数の「地元」を作っていくような価値観に変化していくのではないでしょうか。
電通若者研究部がプロデュースする学生団体の複合プロジェクト
βutterflyでは、毎月の定例会で学生と一緒に未来の価値観を予測するワークショップ「ツギクル」を行なっています。
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今回のテーマは、ツギクル「子育て」のかたちです。
数年前までの子育てコミュニティは、親とその家族、親戚、近所のママ友など、身近な範囲で完結することがほとんどでした。
しかし、ここ数年間でそのコミュニティに大きな変化が生じています。
InstagramやTwitterなどでは、我が子の成長記録や育児あるあるなどを投稿する “ママアカウント(ママ垢)”や“育児アカウント(育児垢)”が増加。単なる情報交換の場として利用するだけではなく、悩みを共有したり励まし合ったりと、オンライン上にも子育てコミュニティが広がっています。
そして、ママ垢・育児垢によって子育てがコンテンツ化されたことにより、親ではない人にとっても子育てが身近な存在になりました。
このように子育てのコンテンツ化が進んだ結果として、オフライン・オンライン問わず、世の中対して「子育てのホンネ」が伝えやすくなっているとワカモンは考えます。
また、子育てに対する世の中全体の意識も変化しつつあります。
数年前までは「子育ての効率化」を良しとしない風潮がありましたが、最近ではITやテクノロジーを活用した育児効率化グッズが開発されるなど、社会が子育て支援に前向きな姿勢を示しています。
今後もSNSを中心に、様々な形で発信されていくであろう「子育てのホンネ」たち。
世の中に溢れたたくさんのホンネたちが、社会を巻き込み、社会をよりよい方向に導いていってくれる強い味方になっていくのではないでしょうか。
電通若者研究部がプロデュースする学生団体の複合プロジェクト
βutterflyでは、毎月の定例会で学生と一緒に未来の価値観を予測するワークショップ「ツギクル」を行なっています。
この連載企画では、毎月行っている議論をサマライズして紹介していきます。
今回のテーマは、ツギクル「快楽」のかたちです。
「快楽」と言えば、誰もが憧れる贅沢の極みというイメージがありますが、学生たちから提出されたツギクルでは「密かに楽しむもの」や「他人にシェアせず自分だけで楽しむもの」という類の回答が多く見られました。

SNSをはじめ、他人からの干渉を前提とする世代からは
「自分だけの世界」に対する憧れが強い傾向があります。
快楽についても、「誰もが羨むこと」を「みんなに見てもらう」のが快楽ではなく、自分だけの世界を追求できる自由を快楽と捉える傾向があると言えるでしょう。
他人や世間に理解してもらおうとせず、自分だけの合理性を追求する
「プロ快楽主義者」への憧れが高まっています。
βutterflyの活動の一環の、毎月の定例会で学生と行なっているツギクルの議論。
この連載企画では、毎月行っている議論をサマライズして紹介していきます。
第12回目の記事は、ツギクル「身だしなみ」のかたちです。
「身だしなみ」とは、TPOに合わせて相手に不快感を与えないように立ち振る舞いや服装・髪型などに気を配ること。しかし、ニューノーマルの日常においてはそのTPOが一変。若者の身だしなみへの意識も変化します。例えば、面接というオケージョンにおいても、以前は直接対面。相手の領域に物理的に赴く、謂わば「アウェー」において全方位的に見られることに対応した身だしなみが必要でした。それが現在ではリモートにおける「ホーム」からのカメラを通して見せる身だしなみへと変化。



このようにオンラインコミュニケーションが主流となった今、他人の目線をコントロールする「演出権」を若者が手に入れました。これは主権が移動したといえます。SNSでの高い発信力や複数アカウントを使いこなしキャラを使い分けたりするなど、自己プロデュース能力の高い若者たち。彼らの新しい「身だしなみ」は100%頑張らないことであったり、ルッキズムに対する抵抗感であったり、これまでの慣習に縛られない自分らしさを表現した新しい「身だしなみ」が次々と生まれるでしょう。
βutterflyの活動の一環の、毎月の定例会で学生と行なっているツギクルの議論。
この連載企画では、毎月行っている議論をサマライズして紹介していきます。
第11回目の記事は、ツギクル「ファッションアイコン」のかたちです。
ひと昔前は、安室奈美恵や浜崎あゆみなどの “アイコン” がいて、みんながその人に憧れていました。アイコンは完璧な存在であり、人々はそこに憧れていたのでしょう。
しかしいまは、完璧であることよりも、むしろ弱点(コンプレックス)がある人に、より共感が集まる時代。SNSで当たり前に他人の生活や考えに触れることができるため、完璧な人なんていないということがわかったのかもしれません。
友人関係もSNSやデジタル起点で始まることが多くなっているなか、他人を見る指標として重視されるのは、外見よりも、その人の価値観に共感できるかだとワカモンは考えます。
「見た目に縛られる社会は嫌だ」という考えの人は、太っていても憧れの対象になる。
見た目だけで判断される時代は、もう終わりを迎えているのかもしれません。
βutterflyの活動の一環の、毎月の定例会で学生と行なっているツギクルの議論。
この連載企画では、毎月行っている議論をサマライズして紹介していきます。
記念すべき第10回の記事は、ツギクル
「コロナ後の新しい当たり前」のかたちです。
4月-5月の緊急事態宣言が解除され、外出自粛/STAY HOMEから少しずつ
新しい生活様式/NEW NORMALへと歩み始めました。
果たして、まだ何が一体「日常」と呼べるものなのか、
それぞれが、手探りで探し始めた時期とも言えるのかもしれません。
1つ確かなのは、もうコロナとうまく折り合っていくしかない、
もうコロナ前の「日常」がそのまま戻ってこない、という共通認識が
世代を超えて、人々の間に生まれつつあるということでしょうか。
全世代が同時に同じ経験をしたことで、
年齢関係なくフラットに、
NEW NORMALを受け入れて柔軟に進んでいけるかどうかが、
これからの時代をうまく歩んでいけるかどうかの大きな分かれ道に
なってくるとワカモンは考えます。
大学生が集めてきたレポートからは、
これからは「人との出会い」は、「誰と実際に会うのか」「本当に会いたいのか」「会う必要があるのか」
というのを吟味するフィルター/ツールの存在感が増し、
「ネットはリアルへの関所になる」というものや、
Physical/物理的な接点がなくても、まだ出会っていない「会いたい人を探して出会っていく」、
「自分の好きな趣味でつながる」、「好きや共感でつながっていく」ための
「趣味友コミュニティ」などが挙がりました。
コロナ禍がもたらしたものの1つとして、これまで、みんなが渋々受け入れてきた
“こういうもんだ”というmust(満員電車で毎日通学・通勤しなければならない、
毎日学校・会社に行かなければならない…etc.)
が解けたことで、
自分を取り巻くものは自分にとって本当に「必要なもの」だけにしたい欲求が高まり、
これからは、様々な面で
自分にとって「必要なもの」の「純度」が上がっていくのではないでしょうか。
特に
人間関係については、表面的な“お付き合い”は淘汰され、
自分がつながりたい人とだけつながっていく、
これまでの人間関係を断捨離するだけでなく、
オンラインを通じて自分が共感できる人を見つけていくこともできるので、
「つながり」の容量は、自ら増やしたいところを増やせるように
これからは変わっていくのかもしれません。
——
*電通若者研究部(電通ワカモン)では、
「withコロナ時代の若者意識 ―コロナは若者にどう影響を与えたか―」(2020年6月調査)
などの分析を行っております。ご興味のある方はお問い合わせください。
電通若者研究部お問合せ先
βutterflyの活動の一環の、毎月の定例会で学生と行なっているツギクルの議論。
この連載企画では、毎月行っている議論をサマライズして紹介していきます。
第9回目の記事は、ツギクル「頑張り方」のかたちです。
これまでは、“我慢あっての頑張り”が美徳とされ、『頑張りは隠すもの』とされてきました。
そんな風潮もあってか、テスト前実際は勉強を頑張っているのに「全然勉強してない」と強がる、
といった光景がよく見られていました。
しかし、今の若者は『頑張りは見せるもの』と考えているようで、SNS上には「勉強」や「筋トレ」などに関する多くの“頑張り”が投稿されています。
このような現象について、 “小学生の頃からスマホネイティブでSNSは当たり前” “脱ゆとり教育でダンス必修化”などの環境で育ったことで、自己表現への恥じらいが減ったことが影響しているのではないかとワカモンは考えます。
また、「成果を出しても褒められない=コスパが悪い」という若者らしい考え方も背景にありそうです。
「応援を確実にしてもらえる=コスパが良い」と考えているので、Instagramのように比較的コミュニティが閉じていて濃い承認が得られそうな場に、頑張りの投稿が多い。
逆に、Twitterのようにコミュニティが混在するSNSは、頑張りを見せる場としては選ばれにくいのかもしれません。
これからは、「頑張って得られる成果」よりも「頑張る過程に寄せられる応援」が、コスパ良くモチベーションを高めるために重要視されていくのではないでしょうか。